広島



母は昨年、98歳で亡くなりました。


長いこと生きてきたけれど、あまり昔ばなしをする人ではありませんでした。
それでも、晩年行きたいところがあるんだと、言っていた場所
それは厳島神社でした。


母が生まれたのは広島市内でした。
6人兄弟の末っ子
甘えん坊の女の子


でも、県立高女の2年生の時父親が亡くなり
当時女学校の音楽教師をしていた姉を頼って海を渡り
大連の女学校に行きました。
それからの人生は 大きく揺れる時代に翻弄されて生きてきたのでしょう。
みんなそうですが・・


原爆が投下されたころは遠く満州で 3人の子の母親をしていたのす。


故郷を出てから80年余り
一度も故郷を訪ねたことはありません。
わたしと違って旅行好きだった母が、故郷を訪ねられなかったこと
母の胸中はいかばかりだったのでしょう。


お城の庭で遊んだことや
練兵場のはなし
家には若い書生さんがいて、お正月におねだりして羽子板を買ってもらい
母親に怒られたこと
そんな話を、ぽつぽつとしてくれるようになったのは
もう随分年を取ってからでした。


厳島神社には連れて行くことが出来ませんでした。
私も車の運転も出来ず、母も一人で歩くことが出来ず
どうしようかと考えているうちに亡くなってしまいました。


厳島神社は小学校の時遠足で行ったことがあり
遠い思い出でいっぱいになっていたのかもしれません。


私も広島にはまだ行ったことがありません
9月の演奏会の帰りに、行ってみようと思っています。


母の暮らした広島市内や
厳島神社
原爆記念館など、出来るだけ見てこようと思っています。


今日は原爆の日


母の帰れなかった広島
私の中にも広島の血が流れているんだなと、今日は強く思います。