なかにし礼さん


だいぶ以前のことですが


鎌倉駅で、
ホームに立っていらっしゃるなかにし礼さんを
二度ほどお見かけしたことがあります。
電車で通われていたんですね。


超有名人ですが、いつもひとりでした。
決して派手ではないのに、目立つ人でもないのに
すぐにわかりましたもの
やはり、スターなんだなと思いました。


何気なくお洒落・・そんな人でした。


沢山の病気をされていたのですね。


ご冥福をお祈りいたします。

12月25日 6時45分の空



朝 何気なく外を見たら


空が燃えていた


慌てて携帯をもち


パジャマのままだったけど


ベランダに飛び出して カシャ!


昨日は クリスマスイブ


ケーキもプレゼントもない


毎年のことだけれど


正直 ちょっと寂しい(笑)


燃える朝が プレゼントかな



さて、元気を出そう


明日は、軽く忘年会だ


軽くだからね(*^^)v

お稽古 寄り道

昨日は今年最後のお稽古でした。


帰り、久し振りの寄り道は
東勝寺址です。


お天気も良くお散歩には最高^^


滑川の橋の上から
ちょっと見、深い渓谷のようですね^^
全然違うんですけどね。


ダラダラ坂を上ってゆくと 祇園山ハイキングコースに出ます。


東勝寺跡です
1225年(嘉禄元年)、執権となった北条泰時は鎌倉の鶴岡八幡宮境内の南東、滑川をこえた葛西ケ谷の谷間に当寺を築き、北条一族の菩提寺とした。この寺は、菩提寺であると同時に有事に備えた城塞の意味をもった寺院であったと推測される。


1323年(元亨3年)北条貞時十三年忌供養には、当寺の僧衆53名が参加しており、諸寺の僧衆のうちこの数は10番目に多く、かなりの大寺であったことがわかる。


1333年(元弘3年)、後醍醐天皇に呼応して鎌倉に攻め寄せた新田義貞の軍勢を迎え撃つべく、北条高時ら北条氏一門が当寺に篭もったが、成すすべもなく自ら火を放って自刃した(東勝寺合戦)。『太平記』によると、自害した者は一族・家臣283人、あとに続いた兵も合わせて870人余であったという[1]。この時、建造物は焼失したが、直ちに再建された。また、北条高時一門が滅亡したのを悼み、現在の藤沢市に新たな東勝寺が建てられた。
(Wikipedia)より


鎌倉はのどかな街ですが、考えてみると血塗られた歴史の上にあるんですね~。


この先が祇園山ハイキングコースですが、通行止めになっていました。
ちょっと歩いてみたかったけれど、残念です。
手前に

北条高塒が自刃した場所と言われています。

奥の穴みたいな場所です。
以前は もっと整備されていたのですが、これではね~
何か気持ち悪いですね。


時期も時期ですので、遠くから手を合わせて帰ってまいりました。


ところで、来年の春の演奏会は中止になりました。
練習嫌いなのに、目標がないとますますやる気が起きません。
京都の友人にも断りの連絡をしなければ・・
せっかく一緒に演奏できると思ったのに残念です。


今日もいい天気(^^♪


毛布をいっぱい洗ったけど、乾くか知らん?