厚木を歩く

                      8月29日


暑い日でした


前日の大雨があがり、快晴にはなりましたが
まるで蒸し風呂状態でした。


高校時代の友人のTさんは 定年退職後
地元厚木でボランティア活動のひとつとして 観光ガイドをしています。
是非一度、案内したいというのでしぶしぶ(笑)出かけたしだいです。


厚木は大山の麓
古くから 大山詣での人々で賑わった町です。
今はちょっと寂しいのですが
そのかわり、工場が多く大学の誘致などで財政的には
まぁ恵まれているような気がします。


暑くていろいろ覚えていないので(ごめんなさい)
写真を少々

相模川と厚木の街


アユ釣りです


国指定登録された 小島邸

2階部分がモチノキの垣でおおわれています
2階は養蚕室で直射日光をさえぎるためでしょうか

住んでいらっしゃるので、早々に退散しました。
今は養蚕はされていません。



もう少し若い頃はこのあたりの山にも、ずいぶん登りました。
その頃は妹も元気でしたので。ふたりであちこち


妹はさっさと逝ってしまったので、一人取り残された気分
それ以来山には登っていません。




少し車でドライブして宮ヶ瀬ダムへ
放流は水曜日とのことで今回も見られませんでした

インクラインは射角35度
もともとはセメントなどを運ぶための物だったのを利用しているのだそうです。
真下を見ると、ちょっとフラ!


下から見上げると高いですね
ダムの上は東京タワーの展望台と同じ高さ


何故かトルコ石のような色
昨日の雨のせいでしょうか


遠く雲の中は丹沢山 手前は
塔の岳


塔の岳はずいぶん登ったなぁ
頂上の山荘近くには鹿がウロウロしてた
今はどうしてるのかな?




辛い話もありました
ここは福元館という旅館の離れです

ここに、1931年3月から4月にかけて小林多喜二が滞在していました。
「蟹工船」などで有名なプロレタリア文学の作家である多喜二は、
治安維持法により追われており、福元館の主人は彼をかくまっていたのです
1933年2月に検挙されその日のうちに、拷問で殺されました。
29歳4か月の若さでした。

読みにくくてごめんなさい


まだ子供の頃、小林多喜二の拷問で殺害された写真というのを何かの本で見て
ずっと、頭から離れませんでした。
あまり詳しいことは分りませんが、戦争というのは集団ヒステリーのような気がします。


今、ほんとに危うい時代
あのような時代に戻ることがあっては、絶対にいけません。



次は、「夕焼け小焼け」の碑

「夕焼け小焼け」の作詞者


中村雨紅は
1926年12月30日、県立厚木実科高等女学校(現・厚木東高等学校)教諭になり
退職までの23年間、ここに勤めました。亡くなるまでの45年間を厚木で過ごしました。





他にも、歩きましたが・・


ごめんなさい
なんか暑さで疲れてしまいました。




今日は涼しいですね


疲れを癒してくれそうです