東海道を歩く(なんて大袈裟な)


こんばんは!
緊急事態宣言に関し、39県で解除するとの発表がありましたね。
神奈川県は残念ながらその中には入っていませんが、それでもなんとなく
出口が開いてきたのかな~なんて思います。


さて今日は、ちょっと歩きました
東海道です・・なんて
ちょびっとだけ触っただけですが。


東海道五十三次の7番目の宿場町にあたる平塚宿
江戸側の出入り口にあたる「江戸見附」から、京側の「京方見附」の間の約1kmにわたり広がっていた平塚宿。
平塚宿には、本陣、脇本陣、問屋場、高札場、旅籠などがあり、江戸時代を通して200軒を超える町並みが続いたと言われます。
古くから交通の要として発展し、街道沿いは家来を引き連れた大名や、荷物を運搬する人などで賑わったそうです。
ここは「京方見付」です。
はっきりとした位置は分からないそうですが、安藤広重の「東海道五拾三次 平塚・縄手道』に高麗山が描かれているところから、この辺りかな?ということです。

花水川を越えると大磯です。

遠く三角に見える山は古くから信仰を集めた大山(雨降り山)です。
神奈川県が水に不自由しないのは、大山、丹沢があるからです(感謝)


この辺りを歩くと、びっくりすることが
例えばこの家

昔の姿をそのままに・・時代を錯覚してしまいますね
ひょいと出てくるんです・・なんの立て札もなく


さて、次はここ
「高久神社」(高麗神社)
中世に書かれた「箱根山縁起」には、神功皇后の三韓征伐(新羅出兵)に勝利した際に、重臣の 武内宿禰(たけうちすくね)が高麗大臣和光を奉ったとされています。
よく分かりませんがとにかく古いのです

後ろの山は高麗山
始めはこの山の頂に神社がたてられました。
今でも、礎石などが残っております
高麗山からは 湘南平へのハイキングコースになっていますが
今日は歩きません

静かですが綺麗に整えられた境内
地元の人たちが大事にしているのですね。
暑い中を歩いてくると、この緑に癒されます。
私もコロナ収束をお願いしてきました。


そうそう、この近くには曽我兄弟の兄、十郎の恋人、虎御前が住んでいました。
仇討ちを成し遂げた後、虎御前は高麗神社の別当高来寺(高来寺)に出家しました。


ここから旧東海道に入ります。
松並木が往時をしのばせます


ほんの短い道中記( ´艸`)
ここまで・・


さてこの後は平塚まで歩いて帰ろうか
大磯駅まで行って電車に乗ろうか
考えた末、電車にしましたが、意外と駅まで遠くてがっかりでした。
でも、一ヶ月半ぶりに電車
ちょっと嬉しかったのです。たった一駅ですが



ハハ・・だれもいない



今日の散歩は12000歩
歩きましたね^^