昔ばなしのひとつ

私の祖父は青森県弘前市の出身でした。
130年も前のこと、貧しい津軽の下級士族の長男として生まれ、大変な苦労をしたんだと思いますが、外交官としてそれなりに頑張ったようです。でも私が生まれたときは既に亡くなっており、写真でしか祖父を知りません。


で、ここで書きたいのは祖父の弟、つまり大叔父に当たる人のことです。
貧しい家の三男坊が何を考えたか・・わかる筈もないのですが、満州馬賊になるといって家を飛び出し、それきり行方も知れぬ人となりました。


それから、70年の時は流れて、
ある日、父のもとに1通の手紙が届きました。
遠く九州のとある老人施設からでした。


その大叔父が入所していて、身内である父に引き取ってもらいたいという手紙でした。
青天の霹靂というか、まるで幽霊を目の当たりに見るようなそんな気持ちでありましたが、父もすでに病を得ており、なんとすればよいものやらと悩んでいますうち、今度は亡くなったので遺骨を引き取りに来てくださいという手紙・・


それにしても、よく調べるんですね。
私の家は満州からの引き上げでしたから、住所もかなり変わっていたのに。
当時私たちは鎌倉に住んでいましたが、母と兄とで遺骨を引き取りにまいりまして、それから弘前のお墓に埋葬いたしました。
人騒がせと言っては失礼かもしれないけど、結局誰も生きている大叔父様には会えなかったのです。


それはさておき大叔父は満州馬賊になれたんでしょうか?
だいたい、満州馬賊ってなに?

連絡くらい

私には子供が二人おります。
一人は前述の娘、もう一人は息子ですが
これがまた、40歳を過ぎてもひとり身でありまして
この調子だと何年かのうちには、いえ、もうすでに親子して独身シニア。


さて、転勤の多い職場でして3月までは沖縄におりました。
最近、茨城県に転勤になってきたので、近いのですから連休くらい帰ってくると
思いますよね。 帰るよって以前は言っていたのに・・


帰ってこない! 連絡もない! 


なんとなく、腹が立つ。

山ガールの頃

勿論その当時は山ガールなんて言葉はありませんでした。
そう、もう何年前?になるでしょうか。
40代に入るころから10年間、私は山に夢中でした。


最初は近くの主婦仲間と行った尾瀬ヶ原散策ツァー。
夜行バスに揺られて到着、早朝から尾瀬ヶ原を歩きました。
どちらかといえば、歩くのは不得意の私でしたが、
自然の中を歩くことがこんなに気持ちが良いことなんだと、初めて知りました。


神奈川県は素晴らしいのです。
大きな丹沢山塊、箱根山を背負っており一時間もあれば麓まで行くことが出来るのです。
勿論北アルプスや南アルプスのように美しいとは言えないかもしれませんが、
それでも、四季折々の景色は生活に疲れた心を癒すには十分でした。


でもその10年を過ぎたころから、いろいろありました。
妹を失い、夫を失い、子供たちが独立して家を出て行き、飼っていた犬、
コッカスパニエルのかわいい仔でしたが。。。病気で死んで
私は一人ぼっちになってしまいました。
それから、山には登っていません。


でもね、山に行ったことは、山の稜線を歩いたことは
今でも私の心の宝物です。
写真は燕岳山頂
わっかいな~~~!