放浪の旅 七日目
いよいよ最終日になりました。
丹波國一之宮 出雲大神宮は、千三百年の歴史があり、京都府亀岡市千歳町にあります。
山をご神体とする出雲大神宮。またの名を、元出雲。そう、こちらが先だったのです。
「出雲大神宮」は、大国主命(おおくにぬしのみこと)とその妻、三穂津姫命(みほつひめのみこと)をお祀りし、日本一縁結びのご利益で知られる神社だそうです。
うーん、そうだったのか・・
京都を過ぎて、大阪は堺にはいりました。
ここで古い和菓子屋さんのカフェがあるとKちゃんに聞きました。
「かん袋」
鎌倉時代末期、元徳元年〈西暦1329年)といいますから
老舗も老舗というところですね。
メニューは くるみ餅、と 氷くるみ餅、のみ
かん袋という屋号は豊臣秀吉につけたものだといいます。
由来は・・・ 長いのでm(__)m
あっさり控えめのあまさ、小豆が程よくとても美味しいものでした。
堺においでの折には、どうぞ寄ってみてくださいね
仁徳天皇陵
勿論なかには入れません
お昼は大きな魚市場のようなところ(名前を憶えていません)でいただきました。
トロ鮪の大きな切り身がのった鮪丼を頂きました。
まんぷくまんぷく・・
いよいよ、最終
和歌山に入りました。
もうすぐ旅も終わりと思うとちょっとセンチ(´;ω;`)
「根来寺」
本堂の写真がありませんm(__)m
国宝 『大毘廬遮那法界体性塔』(だいびるしゃなほっかいたいしょうとう)通称「大塔」
戦国時代、大きな勢力を備えた根來寺、こうした強大な寺社勢力を危惧した豊臣秀吉は天正13年(1585)3月に紀州根来に攻め入り、大塔・大師堂などの2~3の堂塔を残して全山消失してしまいました。
その後しばらく復興を許されませんでしたが、やがて紀州徳川家の外護を受けて、大門・伝法堂・不動堂など主要な伽藍が復興されました。
開祖覚鑁(かくばん)上人は高野山で修業されました
とても高野山に似ています。ちょっと小ぶりという感じですね。
そうして
「和歌山城」
和歌山城の歴史は安土桃山時代に遡ります。
この和歌山城の城主は豊臣秀長で1585年に築城を開始します。
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1619年に徳川家康の十男である徳川頼宣が入城して城の改修と城下町の拡張をします。
しかし1846年の落雷で和歌山城は焼失。
当時、天守再建は禁止されていましたが、御三家ということで特別に認められ
1850年にほぼ元の状態で復元されます。
1935年に国宝に指定されますが、
1945年の空襲で焼失します。
その後、市民からの要望などもあり、1958年に鉄筋コンクリートで
和歌山城の外観をそのままに復元されました
一週間もの長い旅は、私の長い人生でも初めてのことでした。
車をもたない私ですから、車での旅も初めてのことでした。
生きてりゃいいことがある
そうなんだな・・と思いました。
こんな我儘な要求を受け入れて運転を続けてくれたKちゃんに感謝です。
腰の痛いの治ったのかな~~
たどたどしい放浪記に、お付き合いくださったみなさま
有難うございました。
これに懲りず今後ともよろしくお願いいたします。
夜は和歌山ラーメンをいただきました。
味噌味の美味しいラーメンでした。
そうして、和歌山から夜行バスにのり
翌朝、横浜につきました。
一週間 お天気に恵まれてきましたのに、横浜は雨でした。
おわり
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