兄がいて

私は6人兄弟の4番目に生れました。
終戦後で幼い兄達や姉、そして私。
満州からの引き揚げで何も無い、そんな時期に生れて結構苦労したのです。
私・・何も覚えてませんが(笑)
両親は大変だったでしょうね。


さて、私のすぐ上の兄は2歳違い。早生まれですから学年では3年違います。
兄には、いつでも友達がたくさんいて、高校生の頃など何人も我が家に入り浸っていました。


頭の方はまぁよかったんだと思います。
親の期待も相当だったのですが
高校で遊びすぎたのかなんなのか、大学進学ではかなり苦労してました。


ひとつ、私が恨むとすれば兄がちっとも進学できないので、私は大学へ行けなかったことです。
だって、順序もあるし、お金もかかることですし。


それも過ぎたことですが、兄と私は仲は良かったけれど、かなり思想的な違いはありました。
というか、私には思想などというものは無かったのですが・・


70年安保の時代です。覚えていらっしゃる方も多いでしょう。


それからもう長い年月が経ちました。


最近、私がひとりでいることを気遣ってくれるのか、兄が時々と飲み会などに誘ってくれるようになりました。
兄の、昔の友人たちもいたりして、ほんとに懐かしく楽しいひとときを過ごせるようになりました。


年をとるっていうのもいいなぁって思います。
若いときは恥かしいものね。
花も恥らうお年ごろでしたからお喋りなんかできませんでした。
今は、不思議なくらい、自然と話が出来るんです。
共通な思い出がそこにあるからかもしれません。

慈雨ちゃん


まだ小学生の頃父、が一冊の本をくれました。
壷井栄の童話集かなんかだったと思います。
もう、60年も前の話、あらかた忘れてしまったけれど、
その中で、いまでもふと思い出すのが慈雨ちゃんです。


勉強もよくできて、綺麗ではかなげな慈雨ちゃん
大人になったら尼さんになると言っていた慈雨ちゃん
尼さんというのはキリスト教の修道女のことのようでした。
そんな大好きな慈雨ちゃんが ある日突然亡くなってしまうのです。


町の女学校に進んだ慈雨ちゃんが、満員電車の乗客に押しつぶされて死んでしまうのです。
大きな声一つださず、助けを呼ぶこともせず・・


子供の私は泣きました。そして今でも泣きます。


ただただ悲しいのです・

母の日は豚肉で

無しのつぶての息子が久しぶりに帰ってまいりました。
母の日に帰ってくるなんて,何年ぶり? いえ初めてかもしれません。
さて、プレゼントは?何かと思えば豚肉であります。
母の日のプレゼントが豚肉。
あまり聞いたことがないわ。
ローズポークとか言いまして茨城の名産だそうです。
最近茨城県に転勤しましたのでね。


とんかつが食べたいというので、腕を振るったわけですが
とんかつを揚げるなんていつ以来だろう?? 
ちょっと戸惑ってしまいました。


名産らしいローズポークはくせがなくて美味しくいただきました。

そういえば、去年の母の日は沖縄から牛肉が送られてきたんだっけ?
最近怠けてるな?
うん・・・プレゼントも種切れかしら。


そうそう、連休は熱を出して寝ていたそうです。
連絡がなくてちょっと腹が立つなど・・ごめんなさい